♯007 戦国の摩天楼

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室町幕府の権威が失墜し、力ある者が天下の覇権をかけて戦いを繰り広げる争乱の時代に、築城からわずか3年で焼失してなお「幻の名城」として現代まで語り継がれる伝説の城がありました。

琵琶湖東岸に築かれたその城は、雲を突くかのように天高くそびえ立ち、五層七階、外部は赤や青といった色鮮やかな輝きを放ち、最上階は全て金色で覆われ、内部は様々な動物や古の賢人など美しき絵画で飾られていたとの事です。それは当時の常識を遥かに凌駕するものでした。

宣教師ルイス・フロイスは、その著書である「Historia de Iapam」で以下のように伝えています。

「…Em cima domonte que esta no meio fez os seos pacos e fortaleza que de arquitectura,fortaleza, riqueza e apparato se pode comparar com mui grandiozas fabricas deEuropa porque…」

「…中央の山の頂に宮殿と城を築いたが、その構造と堅固さ、財宝と華麗さにおいて、それらはヨーロッパのもっとも壮大な城に比肩し得るものである…」

見る者の度肝を抜く豪華絢爛たるその威容は、訪れる者に力強さと凄絶なエネルギーを感じさせ、畏敬の念すら抱かせたのです。それは天下布武を推し進める織田信長にとって、これまでの覇業の集大成であると同時に、完全なる天下統一に向けての新たな覇業の始まりの象徴でした。

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「…E no meioesta huma maneira de torre, a que elles chamao tenxu,que tem outra figura muitomais nobre e soberba que as nossas torres, a qual he de sete sobrados todos pordentro e por fora feitos de estupenda e maravilhoza arquitectura…」

「…そして城の真中には、彼らが天守(てんしゅ)と呼ぶ一種の塔があり、我らヨーロッパの塔よりもはるかに気品があり壮大な別種の建築である。この塔は七層から成り、内部、外部ともに驚くほど見事な建築技術によって造営された…」

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城とは、領国支配に欠かせない政治・人材・資金・物資・情報の言わば中心地であり、軍事における防衛拠点・前線基地です。その善し悪しが国家の存亡、一族の命運に大きく影響します。「城取り(築城)」がいかに重要であったかは言うまでもありません。

城取りは大きく分けると、「縄張(なわばり)」「普請(ふしん)」「作事(さくじ)」の3つから成ると言われます。

「縄張」とは城取りの設計であり、城を築く場所を決めたり、曲輪の配置・形状、堀の深さや石垣の高さ、城門や櫓の位置・形式などを定める事を言います。そして実際に石垣・堀・土塁などを築く事を「普請」といい、城門や櫓、御殿などを築く事を「作事」と言います。普請と作事は土木工事と建築工事の関係にあたります。

作事には様々な技術者が参加しました。土壁を塗る左官職人や、瓦を葺く屋根工事の専門家、畳や金具を製作する者、襖絵を描く絵師もいた事でしょう。そして中心となるのは木工事を行う「番匠(ばんじょう)」、今日で言うところの大工です。作事と一口に言っても、多くの技術者がその任に当たっていたのです。そして、何と言っても作事の中で最大のものが「天守」の建造でした。

現代の我々が城と聞くと、まず最初に思い浮かべるのは「天守閣」ではないでしょうか?天守閣という言葉は、江戸時代後期に庶民の間で使われ始めた俗称であって、本来は天主・殿主・殿守などの漢字が使用されるものの、一様に「てんしゅ」と呼ばれていました。

しかし、「天守」という名称の由来、あるいはその起源についての決定的な結論はありません。ただ、少なくとも群雄割拠と言われるこの時代に急速に進化した事は確かなようです。いずれにせよ、天守は有事の際には物見櫓や司令塔としてその役割を発揮しますが、そういった軍事的な目的で存在したというより、最終的には権威の象徴・権勢の誇示といった性格の方が強くなり、内外に威厳を放つ存在となった事は間違いありません。

そして、織田信長が建造したこの天守こそが、その最たるものだったのです!

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織田家の家臣であった太田牛一が著した「信長公記(しんちょうこうき)」には、城からの眺めが次のように描写されています。

「…西から北は琵琶湖が水を満々とたたえ、舟の出入りがひんぱんで、遠くから帰る舟の影、漁村の夕暮れ、浦うらの漁火の風情など、じつにすばらしい。湖の中には竹生島という有名な島がある。また竹島という湖中に高だかとそびえ立つ岩山がある。奥の島山の、長命寺観音の、朝夕の鐘の響きは快く耳に響く。湖の向こうは、比良の高根、比叡の山、如意が岳。南には村々の田畑がひろがり、近江富士と呼ばれる三上山の姿も美しい。東に観音寺山があり、そのふもとの街道はひきもきらぬ往来でにぎわい、昼夜それが絶えるということがない…」

琵琶湖がキラキラキラーってしている感じが何とも言えない美しさを醸し出していますよね!山寺の鐘の音が聞こえてくるようです。田畑や街道もあって、きっと沢山の人が暮らしていた事でしょう!戦国の世に生きる人々の生活が伝わって来ます!

では、ここでちょっと城下町をぶらりと散策しに行ってみましょう!


いや~ホント人がいっぱいいますね~!物凄い活気です!


「あれが南蛮人か~?」
「キャー!ステキー!デップ様~!」


「見ろ!良い女だぜ!」
「お前どっちを選ぶ?」


「このふんどし、くっさ~!」

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天正10年(1582年)6月13日…

「天王山にて、お味方、大敗北!羽柴筑前守の軍勢がこちらに向かっているとの由でございます!」

「なんだとー!して、殿は!殿は如何なされたー!」

「昨夜のうちに勝竜寺城を抜け出し、坂本城に向かわれたとの事でございまするが、消息は分かりませぬ!」

「なんたる事か!えーい、急ぎ我らも坂本へ向かうぞ!急げ!急げー!」

それは本能寺の変より、わずか10日ほどが過ぎた頃の事でした。

「わしは若年より戦地に臨むにあたり、攻めては一番槍、引いては殿(しんがり)を旨とし、武名をあげる事を本懐としてまいった。幾つもの危機を潜り抜け、困難に耐えてきたのも、ひとえにお家の繁栄を願っての事である。しかし今となってはどうであろうか…進退窮まるとはまさにこのこと、我が武運は尽きたか…」

見上げるとそこには、豪華絢爛たる天守が雲を突くかのように天高くそびえ立っていました。

「それにしても、なんと見事な天守であるか!ここはかつて天下の中心であったのだな!」

「坂本城へ向かう準備が整いました。筑前守の軍勢も間もなく参ります。退去にあたって天守に火を放ちまするか?」

「天下の名品と同様に、天下もまた私物化してはいけないのやも知れぬ。あの時、殿をお留めしておれば良かったのか…天下は未だ定まってはおらぬ。まだまだ数多の血が流される事であろう。まこと武士とは空しきものよ。死出の山にて秘蔵の脇差を殿にお渡し申そう。」

この2日後、天守は炎に包まれ消滅する事となります。

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今や存在しないこの城の真実の姿を知る者はいません。ヨーロッパの大聖堂のような吹き抜け構造になっていたとも言われていますが、現在この城の真実の姿を巡る論争は続いています。当時の書物に記述が残されているものの、今となっては想像に頼るしかないのです。

手掛かりとなるのは狩野永徳が描いた一枚の屏風絵。これはイエズス会巡察師アレッサンドロ•ヴァリニャーノが帰国する際に織田信長から贈られた物で、時のローマ教皇に贈呈されているのですが、その屏風絵にはこの城の景観が事細かに描かれていると伝えられているのです。

この屏風絵を見れば多くの謎は解明出来るかも知れません。しかし、バチカンへ調査団を派遣し探索を試みるも、残念ながらこの屏風絵は未だ発見されていないのです。

「幻の名城」は一体どのような威容を誇っていたのか…?現存していれば間違いなく第一級の文化財であろう事を考えれば残念でなりません。しかし、日本に名城数あれど、こんなにも圧倒的な存在感を感じさせる城があったでしょうか?

今日では石垣や階段が残るのみで城の名残はほとんど無くなっていますが、木々は四季折折の顔を見せ、草花は健気で小鳥は元気です。天守跡に登ると、その日は抜けるような青空で風が心地よく、僅かながら琵琶湖も望めました。

イエズス会巡察師と共に海を渡った屏風絵の行方は今も謎のままですが、この地に立てばその雄姿がありありと浮かんで来ます!安土桃山という時代の転換期において、確かに「安土城」は存在していたのです!それは語り継ぐべき人類の歴史です!

いや~、私も一国一城の主になってみたいものですな~!

あいやいや!まずは「うだつ」を上げることから始めないといけませんやね…

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参考

◆「完訳フロイス日本史3」(中央公論新社)
ルイス・フロイス 原著   松田毅一、川崎桃太 訳

◆「信長公記」(ちくま学芸文庫)
太田牛一 原著   榊山潤 訳

◆「城のつくり方図典」(小学館)
三浦正幸 著

◆「【決定版】築城にこめられた叡智と技術 図説「城造り」のすべて」(学習研究社)
三浦正幸 監修

◆安土城CG画像
三浦正幸 復元  株式会社エス 制作

◆Wikipedia

◆安土町城郭資料館
JR安土駅前すぐ

◆安土城天主 信長の館

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