♯004 壁とオペラと赤い海

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戦争が他の手段をもってする政治の継続であるならば、後に続く復興こそが、いよいよ目的の実現となるはずです。

しかし、敗戦国はその運命を戦勝国に握られているものであり、自国の理想を掲げる事など到底叶うはずもありません。そもそもそこに正義を求める事自体がナンセンスなのであり、ただただ羞恥と屈辱に塗れながら耐え忍ぶしかないのです。それともそれは戦争を知らない世代のエゴでしょうか?

1945年5月、無残な廃墟と化したベルリン及びドイツ領土は、戦勝4カ国によって分割統治される事となります。そこでは兵士は自失し、国民は餓え、略奪や強姦が横行する等まさに地獄絵のようだったという事ですが、それが戦後ドイツの現実でした。

ナチズムとの決別…ドイツ再建はここから始まります!

それが戦勝国による占領政策だとしても、そのイデオロギーからの脱却は戦後ドイツが避けて通れない問題であり、何よりもドイツが再び自主独立を成して世界に認められる国になる為に不可欠である事に間違いありません。

しかし、時代は新たな局面を迎えていました。それは2つのイデオロギー…ソ連を代表とする共産・社会主義陣営とアメリカを代表とする資本・自由主義陣営との対立。当然ドイツもその長く冷たい戦争に巻き込まれていきます。いや、むしろドイツはその戦争の最前線に立たされる事となったのです。

ドイツ民主共和国(東ドイツ)と、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)…

ドイツは引き裂かれ、それぞれが復興の道を歩む事となりました。

しかし、ソ連式共産主義による監視体制をとったSED(ドイツ社会主義統一党)独裁の東ドイツと、マーシャル・プランを経てアメリカ流の自由な市場を展開して「経済の奇跡」を起こした西ドイツでは、その後の発展には雲泥の差がありました。経済の格差が拡がっていったのです!

東ドイツはソ連への賠償や労働者の暴動を乗り越えましたが、最大の問題である東から西への、しかも週に数千人という単位での人口流出には頭を悩ませる事となりました。それは戦後復興に欠かせない労働力、ましてやそれが専門技術を身につけた言わば未来を築くべき者達の流出なら尚の事です!

東ドイツの危機感は強まります!何としても人口流出を食い止めなければなりません!

そして1961年8月13日…

東ドイツは西ベルリンと面する国境に有刺鉄線を張り巡らします!それが最初の「壁」となりました。

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In des Lebens FruehlingstagenIst das Glueck von mir geflohn!

人生の盛りのただ中で幸せは私から消えていった。

Wahrheit wagt’ ich kuehnzu sagen, Und die Ketten sind mein Lohn.

勇気を出して真実を語ったが、その報いがこの鎖だ。

Willig duld ich alleSchmerzen, Ende schmaehlich meine Bahn,

潔くあらゆる苦痛に耐えよう。私は私の行く道を汚辱に満ちて終えるのだ。

Suesser Trost in meinemHerzen, Meine Pflicht hab ich getan!

私は義務を果たした。そう思うと、私の心は優しく慰められる。

Und spuer ich nichtlinde, sanft saeuselnde Luft? Und ist nicht mein Grab mir erhellet?

私が感じているのは穏やかな優しくそよぐ風ではないのか?私の墓場は明るく照らされているのではないだろうか?

Ich seh, wie ein Engel imrosigen Duft Sich troestend zur Seite mir stellet.

私には天使がバラ色の香りに包まれて、私を慰めながら私の傍に立っているのが見える。

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ヴィルヘルム・ピークヴァルター・ウルブリヒトはKPD(ドイツ共産党)として活動を始め、1946年4月にSPD(ドイツ社会民主党)を吸収してSED(ドイツ社会主義統一党)を結成しますが、それはソ連の共産主義を規範としており、それこそがドイツ復興を成すものだと信じられていました。

「共産主義」とは…?いや、そもそも「理想的な社会」とはどのような社会なのでしょうか?

かつて原始の社会にも「不平等」という概念はなかったのか…

この世に人類が誕生して以来、力ある者とそうでない者は、その「差」を確固たるものにする為、あるいはそれを埋める為に戦いを繰り返して来たわけですが、その結果、人間社会には「階級」というものが生まれ、それは時代や地域を問わず「搾取する者と搾取される者」という構図を生みだしたのです。

やがて、虐げられし者達は心の救いを他に求めます。
この世の何処かに理想的な社会があるのではないか…?

主人や奴隷といった関係はなく誰もが自由であり、財産は皆で共有して必要な時に必要な分だけを使うので私有財産という概念は存在しません。人々は同じように清潔な衣服を身にまとい、家畜や農作物、自然の恩恵も皆で分かち合い、各々が自身の業に勤勉であり、仕事の時間外は趣味や研究、芸術活動に費やす事が出来るのです。

それは階級差のない平等な社会…

やがてその空想が科学となった時、心のユートピアは現実世界に現れてくるのです!

資本主義はその性質上、その生産関係がもはや生産力を発展させる為の足枷でしかなくなり、限界に達した資本主義は崩壊し、プロレタリアートによる社会主義革命が起きるに至ると言います。プロレタリアートはブルジョワジーからの不要な搾取を受ける事もなければ、剰余を独占される事もありません。

そして、永き階級闘争の歴史に終止符が打たれるのです!

やがて人類は真実の自由を手にする事が出来るでしょう!それは偽りの自由や形だけの自由などでは決してありません。それは人間を物質的なモノへの隷属から解放し、完全な自己充足の世界へと導きます!人々は各個人の能力に応じて働き、必要に応じて受け取るのです!

かくして、現実世界に現れたユートピア、地上の楽園、その名は「共産主義」…

これで世界は平和になる…、そう信じたのです。

この共産主義という名の「幽霊」の手によって…

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Heil sei dem Tag, Heilsei der Stunde, Die lang ersehnt, doch unvermeint,

良きこの日、良きこの時を讃えよう。待ちに待ったこの時が突然思いもかけずに訪れた。

Gerechtigkeit mit Huld imBunde Vor unsres Grabes Tor erscheint!

正義と慈愛が共々に私達の墓場の門の前に現れた。

Des besten Koenigs Winkund Wille Fuehrt mich zu euch, ihr Armen,her,

至高の王の御指示と思し召しにより、私はお気の毒な皆さんの所へ来た。

Dass ich der Frevel Nachtenthuelle,Die all’ umfangen schwarz und schwer.

私は全てを暗く重く包んでいた悪事の夜に夜明けを告げる為にやって来た。

Nein, nicht laengerknieet sklavisch nieder,Tyrannenstrenge sei mir fern.

さあ、もう奴隷のように跪くのを止めるがよい。暴君の厳しさは私とは無縁だ。

Es sucht der Bruder seineBrueder, Und kann er helfen, hilft er gern.

兄弟はお互いに求め合う。助けられる時は喜んで助け合う。

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結果的に、共産主義宣言の根幹であるマルクス主義が提唱した資本主義の崩壊や、国境を越えたプロレタリアートの団結などは、現実世界では起こり得ませんでした。何故ならそれは、あまりにも人間社会の現実や人間性を無視したものだったからです。

所詮、空想は空想でしかなかったということでしょうか…?

マルクス主義が政治綱領として採用される事はありませんでした。それでも「共産主義」が消滅する事はありませんでした。それどころか、共産主義は修正を重ね、その歪んだ教義を現実世界で実現させる為に、徹底した監視体制、暴力的な支配体制を強化させていきながら、モスクワから第三世界へと拡大していったのです!

それはまさに「狂気」そのものでした…

そして東ドイツもまた、「共産主義の狂気」を孕みながら戦後の瓦礫から復興するのです。西ベルリンを囲む形で建設された「ベルリンの壁」こそは、まさに東ドイツの狂気が具現化されたものでした。

今世紀に入ってから見つかった当時の東ドイツ文書には、ベルリンの壁を越えて西側に亡命を図る者は子供に対しても躊躇せず銃撃を加えることが指令されていたという事です。事実、多くの者が国境警備兵により射殺されています。彼らは皆、自由を欲しただけの普通の人々でした。

東ドイツにはIM(非公式協力者)と呼ばれる者達も存在しました。彼ら「密告者」は、日々の言動などをもとに反体制派と思しき者の情報を秘密警察(国家保安省:通称「シュタージ」)に提供します。IMは一時20万人近くいたとの事ですが、それは同僚や友人、時に伴侶までがIMであるという事さえあったのです。

IMには体制に忠実であった者もいれば、あるいは体制に非協力的な者は出世や進学といった社会的希望は望めないという脅しにより、仕方なく協力した者もいた事でしょう。何よりも、シュタージによる圧力は恐怖の対象でした。監視や尋問、盗聴といった執拗なまでの人権侵害がしきりに行われていたのです。

時に監禁された者もいました。食事も満足に与えられず、眠る事はもちろん横になる事さえ許されず、数十時間尋問は続けられるのです。やがて精神に異常をきたし、そして自白に追い込まれるのです。彼らは「社会主義の敵」には容赦なかったのです。

自由を阻む壁が、狂気を孕んだ日常が、そこにありました。

重く冷たい空気が、東ドイツを覆っていたのです。

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Bestrafet sei derBoesewicht, Der Unschuld unterdrueckt.

罪の無い人を弾圧する、悪者は罰せられるのだ。

Gerechtigkeit haelt zumGericht Der Rache Schwert gezueckt.

正義は悪を裁くべく、抜き身の復讐の刃を手にし構えている。

Du schlossest auf desEdlen Grab, Jetzt nimm ihm seine Ketten ab

お前はこの気高い人の墓を掘った。今度は彼の鎖を外すのだ。

Doch halt! Euch, edleFrau,allein, Euch ziemt es, ganz ihn zu befrein.

いや待て!気高き女性よ、貴女こそ彼を自由にするのに最も相応しいお方だ。

O Gott! Welch einAugenblick! O unaussprechlich suesses Glueck!

おお神よ!何と言う感動のこの時!幸せに酔うこの気持ちを何と言ったら良いのだろう!

Gerecht, o Gott, ist deinGericht, Du pruefest, du verlaesst uns nicht!

おお神よ!あなたの裁きは正しい。あなたは試練を与えられるが私達をお見捨てにはなりません!

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1980年代後半、ソ連の指導者ミハイル・ゴルバチョフが提唱したペレストロイカは東欧世界の民主化運動を加速させ、その波は東ドイツにも押し寄せます!

脱東ドイツの群衆は増え続け、そしてこの時、汎ヨーロッパ・ピクニックに代表される民主化への熱望は最高潮に達しました!さらに東ドイツは深刻な財政難に面しており、ヴァルター・ウルブリヒトの跡を継いだエーリッヒ・ホーネッカーに成す術はなく、彼はSED書記長の座を退きます。

そしてドイツは、1989年11月9日を迎えるのです!

その日の夕刻、SEDのギュンター・シャボウスキーは生放送の会見にて、「ベルリンの壁を含めた全ての国境からの出国を認める」という新法案を発表しますが、実はそれは誤りであり、正しくは「壁を除く国境からの出国規制緩和」でした。しかも彼は「私の知る限り今からすぐに!」と発表します。放送を聞いていた東西ベルリン市民は次第に壁に集まりました。

期待と不安が入り交じる中、ベルリンの壁は数千数万の自由を求める声に囲まれます。そして、ついにゲートは開放されたのです!その瞬間、辺りは数千数万の歓喜の声で満ち溢れました!

そして1990年10月3日、東ドイツが西ドイツに編入される形で、東西ドイツの統一が実現します。東西ベルリンは「ベルリン」となり、4カ国の共同統治は終了し、ベルリンはドイツの首都となりました。それはベルリンの壁崩壊からわずか11ヵ月後の事です。

「狂気」は去りました…

これで人々は平和に生きる事が出来るのです。

いや、はたしてそう言い切れるものでしょうか?

男達は10年越しのトラバントの手入れに余念がありません。女性達には産み、育て、働く環境もありました。大人達はモカフィックスゴールドで一服し、子供たちはザントマンに夢中です。若者たちは向こう側のテレビやラジオの放送をこっそり受信してはジーンズやロックに憧れました。モントリオール五輪サッカーで金メダルを勝ち取った際にはさぞ町中が興奮した事でしょう!

東ドイツは41年間存続しましたが、当然その間にも人々は…、自動車整備工も販売員も…、消防士も学校教師も…、家具職人も料理人も…、宇宙飛行士もタクシードライバーも…、人々は仕事や暮らしに直向きに、人生の喜びを見出し生きてきたのです。

それはどんなイデオロギーにも縛られない人間の自由な生命の躍動です。その躍動を感じられる社会こそが「理想的な社会」と言えるのかも知れません。

ちなみに、ソ連が崩壊したのは1991年12月26日の事です。

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2009年11月9日…

「ベルリンの壁」崩壊20周年にあたるこの日、ドイツでは壁のように大きな牌を使ったドミノ倒しのイベントが行われました。ブランデンブルク門で記念式典は行われ、かつて壁があった場所に並べられた発砲スチロール製の牌は、集まった人々の歓喜の声に後押しされて勢いよく倒れていったと言う事です!ユニークなイベントですよね!

かつて、ベルリンの壁を越えようとして射殺された者の数は現在もなお調査中との事であり、数百名とも数千名とも言われていますが、壁の存在自体が心身に与えた影響を考えれば、それは数で計れるものではないのです。

東西統一後、東ドイツマルクはその価値を失い、紙幣はただの紙切れとなりました。もちろん政府は旧東ドイツ地域に多額の投資を行い「東の建設」に着手していました。インフラを整え、旧西ドイツ人が東側に家を建てる場合は減税措置を設け、西側企業の東側進出には援助金を出したのです。

それでも失業や貧困といった現実が旧東ドイツ国民を襲いました。ですがそれは、東西のドイツ人それぞれの労働やサービス、商売や契約といったことに対する価値観がまるで違っていた事による戸惑いと敵意が、ある種の差別意識を生んだ結果なのかも知れません。

東ドイツ経済では、生産目標・労働賃金・商品価格などを国家が規定するいわゆる「計画経済」でした。そこでは皆平等に賃金が支払われます。意欲的に働いてもそうでなくても賃金は同じです。失業もありません。仕事すら自分に合う合わないは別にして政府が用意してくれたのです。

それをユートピアととるか否かは意見が分かれますが、少なくとも「昔は良かった…」と言う旧東ドイツ人は現在もいるのです。彼らは共産主義の暗面を非難しつつも、資本主義のシステムには馴染めずにいるのです。彼らは旧東ドイツ地域の経済発展を望みながらも、古き良き時代(オスタルギー)に想いを馳せるのです。

競争社会が必ずしも人を幸せにしないのは百も承知ですが、それでもベルリンの壁は悲劇を生むものでしかありませんでした。すでに存在しない事がそれを物語っています。ですが、「モラルとは立場や時代と共に移ろいで行くもの」です。忘れてはならないのは「歴史は片側のみが造っているのではない」という事です。それは語り継ぐべき人類の歴史です!

21世紀とは言え世界にはまだまだ「壁」は存在している事でしょう。宗教やイデオロギーが異なれば意見が食い違うのは当然なのです。しかし、他の手段をもってする政治の継続に訴えなくても良いように、しっかりとした政治を継続させてほしいものです。

何だかんだと日本もいろいろありますが、パリッと香ばしいソーセージを片手にキンキンに冷えたビールをグイッと飲み干す…現状そんな喜びを味わえる日々に感謝です!

お隣りさんも南北統一出来れば良いのですけどね…ホント!

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参考

◆「共産主義が見た夢」(クロノス選書)
リチャード・パイプス 著  飯嶋貴子 訳

◆「マルクス主義とユートピア」(紀伊國屋書店)
坂本慶一 著

◆「ベルリンの壁の物語 上・下」(原書房)
クリストファー・ヒルトン 著  鈴木主税 訳

◆「フィデリオ」(音楽之友社)
ベートー・ヴェン 作  荒井秀直 訳

◆Wikipedia

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