♯009 ビターチョコは恋の味

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え?どうしたらそんなに女性にモテるのかだって?

そんなの気にした事もないな~…

だって僕はいつも自然体でいるだけだからね!

ん?だったらそのチョコレートの山は何だって?

これは彼女たちから貰ったものなんだけどね…あれ?君は持っていないようだね?そうだ!良かったら幾らか手伝ってくれないかな?ちょうど困ってた所なんだよ。こんなに沢山食べ切れないからね!毎年の事なんだけど、今年は君がいてくれてホント助かったよ~はははっ!

バキッ!ゴキッ!ドカッ!ゴンッ!………

こんな事を言う奴はとりあえずブン殴っておきましょう!しかし、こんな事を言ってみたいのもまた事実!

今年もいよいよ近づいてきました!そうです!バレンタインデーです!年に一度、女性が男性に愛を込めてチョコレートを贈る特別な日…チョコレートのように甘くてちょっぴりほろ苦い…うっとりするほどロマンチックでスイートで…ホ~ント素敵な日♪

きっとこの日は恋人たちが愛を確かめ合っている事でしょうね~!

一方モテない男性諸君にしてみればまさに試練の日!数日前から起こりえない夢を見ては当日「あっ…やっぱり起こらないんだ…」と現実の厳しさを再確認して枕を濡らす。男はこうして強くなる!なんて自分に言い聞かせてもやっぱり両肩に伸し掛かってくるやるせなさ。胸が張り裂けそうなくらい苦しくて悲しくて…貰ったチョコレートは母親からだけだなんてちょっと酷すぎるぜ我が青春!

いっそバレンタインデーなんてこの世から無くなれば良いのに!

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3世紀ローマ帝国、キリスト教がまだ国教ではなく新興宗教だった時代…

時の皇帝クラウディウス2世は、兵士たちに妻子がいると戦場での士気に影響が出るとの理由から、兵士たちの結婚を禁止したと言われています。されど若い男女がいれば恋に落ちるのも自然な事で、ナニするのも時間の問題です。兵士たちはこっそり結婚するわけですが、それを執り行ったのがキリスト教の聖職者である「ヴァレンタイン」でした。

しかし、それらの行為が皇帝の知る所となり彼は投獄されてしまいました。それでも彼の説く愛に共感した者達は、獄中の彼に花束などを届け続けたそうです。彼自身も恋に落ちた看守の娘へ「あなたのヴァレンタインより…」という別れの手紙を贈ったと言われています。そして処刑の日である2月14日を迎えたのでした。

やがて時は流れ5世紀、すでにキリスト教が国教となった後、かつて戦争より愛を説いた聖職者ヴァレンタインの行為を賛美する声は多く、時のローマ教皇ゲラシウス1世はヴァレンタインを聖人の列に加えます。そして、殉教者たる彼の名に因んで2月14日を永遠の愛の日「バレンタインデー」としたのでした…

…と言うのが、バレンタインデーのルーツとなる一般的説なわけですが…

実は「ヴァレンタイン」と名乗る聖職者は複数人いて、どのヴァレンタインにまつわる伝承なのか?複数のヴァレンタインによる複合的伝承なのか?そもそもこのヴァレンタインは実在するのか?という議論まで飛び出すほど、あまり実像は掴めていないようです。

だとすると、「ヴァレンタインの物語」は一体何なのでしょう?

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ローマには、もともと2月15日に「ルペルカリア」という豊穣祭がありました。それには若い男女が結ばれるという慣わしがあったとか…?

2月14日はローマ神話における結婚の女神ユノの祝日でもありました。

その日、娘達は自分の名前の書いた札が入った壷を用意します。そして翌日、男達は壷から札を一枚選びます。そこでパートナーとなった男女は共にルペルカリアを祝うわけですが、それは若い男女にとって貴重な出会いの場となるのでした。やがて二人は新しい恋を育み、そして愛を育み、そして命を育んでいくわけなのです。

他にも、生贄とされた動物の皮で鞭を作って半裸姿の男がそれを持って村中を走りまわる、という儀式もありました。それは、その鞭に打たれた娘は子宝に恵まれる、という願いを込めた儀式なのです。

豊穣や繁殖を祈願したこの祭りは、ローマの若者にとって非常に人気のあるものでした。それはきっと自由で真っ直ぐな愛情表現であり、活力旺盛で生命力に富んだ祭りだった事でしょう!

しかし、当時のキリスト教会からすれば、その自由な愛情表現はややハレンチと映ったのかも知れません!ましてや、キリスト教が国教となったからにはいつまでも異教の神を祭るわけにはいきません!かと言って、ルペルカリアを禁止して民衆が暴動を起こせば、たまったものではありません!

ルペルカリアの趣旨を残したまま、祭りを「キリスト教色」に塗り替える必要があったわけですが、そこで適当だったのが「ヴァレンタインの物語」だったのです。

ヴァレンタインは守護聖人となり、2月14日は「自由な愛の日」から「厳粛な愛の日」に変わる事となりました。壷の中の札を引いても聖人の名が書いてあったら男達はさぞやるせなかった事でしょう。

要するに、ヴァレンタインが兵士の結婚をこっそり執り行った事も…看守の娘と恋に落ちた事も…もっと言えば、ローマ皇帝が兵士の結婚を禁止した事も…ヴァレンタインの存在自体も…

全ては、当時のキリスト教会によるリフォーメーションの産物…かも知れないとしたら、その恩恵を最大限に受けたのは、むしろ今日の菓子製造業者かも知れませんね!

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こうして考えてみるとバレンタインデーの起源が何なのかはよく分かりません。諸説あるようですが、中世ヨーロッパでは、ジェフリー・チョーサーを始めとする多くの詩人は、バレンタインデーを鳥に準えて「恋人達の日」として歌っています。すでにその頃には「バレンタインデー=恋愛の特別な日」というのが定着していたのでしょうね。2月14日は「自由な愛の日」に戻ったのです。

文明が起こり今日に至るまでの間に、愛や恋の物語や詩は数多く生まれてきたわけですが、かつて恋人達は自分達の愛が永遠でロマンチックなものであると信じ、それらの物語や詩に準えて来たのです。それは語り継ぐべき人類の歴史です!

ただし、それがフィクションであれノンフィクションであれ恋人達にはどうでも良い話なわけで、大事なのは二人だけの世界を描く事であり、チョコレートのように甘くてちょっぴりほろ苦い愛を二人だけの世界で感じ合う事なのでしょう!

いや~もう勝手にして下さいって感じですよね~!やれやれ…。

2月14日はバレンタインデー…

「こんなに沢山食べ切れない。」か…

一度で良いから言ってみて~な~!

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参考

◆「ヨーロッパの祝祭日の謎を解く」(創元社)
アンソニー・F・アヴェニ 著  勝貴子 訳

◆Wikipedia

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♯008 星に願いを…

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…昔々、ある船に大勢の商人が乗っていました。

商人達はそれぞれに扱っている商品を持っていましたが、一人だけ何も持たない男がいました。ある商人がその男に尋ねました。

「貴方は、一体何を売っているのですか?」

「私が扱っている商品は、世界で最も優れている物です。」

そこで商人達は男が寝ている間に荷物を調べてみたのですが、特に価値ある物は見付かりませんでした。商人達はこの男は愚者なのだと皆で笑い者にしました。

航海の途中に船が難破しました。商人達は命からがら陸に辿り着きましたが、大事な商品は全て流されてしまいました。

さて、例の男は近くの町のシナゴーグに向かいました。そこで町の人々は驚嘆しました。男の話す知識や知恵は、どんな学者や商人のそれよりも優れていたのです。男はとても尊敬され、もてなされました。そして男は賢者として富を築いたのです。

商人達は口を揃えて言いました。

「なるほど、貴方が言っていた事は正しかった。私達は商品を失った。しかし、貴方の商品は生きている限り失われる事はない…」

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私…ぶっちゃけ…お金大好きです。

いや~すいません…でも、これって本音なんですよね~はははっ!

ただし今はお金の流れが非常に悪い!なんと言っても100年に一度の大不況!リーマンショック以降世界的に拡がったこの金融危機は、株価の暴落や大手企業の倒産など日本にも多大な影響を与え、巷では職を求める人達で溢れんばかりです。

日銀の為替介入も結局なんだったのか。円高の波は輸出業者を圧迫し、高級ブランド品崇拝者の間では円高の神様まで登場する始末。エンタの神様より面白いジョークですが、日本経済破綻なんてのはエンタメの世界だけに止めておいてほしいものです。

はたして「失われた20年」を取り戻す事は出来るのでしょうか?もちろん、この御時世に右肩上がりの企業が存在する事も事実ですが、やはり多くの企業にとって重く圧し掛かるデフレの螺旋!なかなか景気回復への糸口が掴めない状況です。

そんな中、エセ投資家達は億万長者の夢とマウスを握り締め日夜トレーディングに勤しむものの、損切り出来ないからと滝に打たれて精神修行…市場が進化しても人間がそれに追い付けてないのかと悲愁したくもなりますが、実際大金を手にしている人もいるから大したものです。

つまるところ現代社会は格差社会!このまま人々は「持つ者と持たざる者」のディバイドに翻弄されるだけなのでしょうか?「奴は何か持っている…」なんてのは最近よく耳にしますが、一体何を持っていれば良いのでしょうね?

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「金融の歴史」と聞いて最初に思い浮かべるのはユダヤ人の存在ではないでしょうか?「高利貸し」として名高い彼等は、その類いまれな才能で金融技術の発展に大きく貢献しています。

それはもちろん、永い迫害の歴史の結果であって、当初は彼等も仕方なく金融業に従事していたのであって、シャイロックだっておっさんの肉1ポンドが本当に欲しかったのかどうか分かりませんが、彼等が後に「赤い盾」の財閥を築いた事が何よりもそれを物語っていますよね!金融市場を牛耳るユダヤ人…なんて誇張も強ち間違いじゃないのも知れません。

それはさておき、彼等ユダヤ人は非常に「学び」を重んじる民族であるという事は紛れも無い事実です。彼等が様々な分野で優秀な成績を残している事がそれを裏付けていますよね!「学び」が最も崇高なものだという「教え」は、彼等が拠るべき国家も独自的な軍事力も持たないディアスポラの歴史を生き抜く為の大切な手段の一つだったのかも知れません。

それはともかく、彼等の「教え」の中には「お金」に関する格言や諺がとても多い事には驚かされます。お金に対して「心から欲していても、心の何処かで不浄な物と捉えてしまっている…」なんて事はよく聞きますが、彼等曰く「お金に善悪は無い。ただ機会を提供する物である!」との事。全てはその「手段」を扱う人次第という事なのかも知れません。

それにつけても、「お金」とは一体何なのでしょうね?

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「お金」が「人間社会」において必要不可欠である事は今では疑う余地もありませんが、かつては存在していなかったのですから面白いものです。

そもそも「社会」が構築されていれば、何かしらの「政治」や「法」が存在するわけですが、古代的な社会においてそれは神か、或いは血族なのか、何れにせよ「絶対的な何か」に対する供物や奉仕は言わば義務であり、それに背く者は罪人でした。そういった政治的・宗教的な責務に対して、ある一定の行為や使役、若しくは計量可能物を以て「支払」に充てる事によって、責務の解除を図っていたのです。

「支払」に計量可能物を充てるとすれば、それらを蓄蔵しておく事は言わば必然です。それは将来への対策、つまり「価値の保蔵」を行う事によって如何なる時にも責務に対応する事が出来るという事です。また、それら蓄蔵された「富」が個人や集団の威厳や信用を高める事にも繋がったでしょう。

しかし、計算・比較手段が無ければ蓄蔵された「富」の管理など効率よく行えるはずもありません。何故ならそれが計るものは、大きさでもなければ長さでも重さでもなく「その重要性はどれだけ大きいか?」という事だからです。つまり「価値の尺度」機能がそれを可能にするのです。

最も、経済取引的な物々交換に限界を感じた結果、そこには「交換の媒介」になるような何かが必要になったという事は、現在に生きる私達にも良く分かる話ですよね!

人間の多種多様な価値観や様々な社会制度における活動を客観的に捉え、かつ効率的に行う為には何かしらの「手段」を発案する事は当然の結果だったのでしょう。

やがてそれらの「価値」は凝縮され、全ての目的は「お金」という形で統一されていったのです。

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人間の利己心が重なり合って経済全体が発展することを「見えざる手」と表現したのはアダム・スミスですが、その後も多くの学者達が独自の理論を打ち立てては経済の実体を捉えようと試みるものの、なかなか一筋縄でいかないのは、やはり経済活動に人間心理が深く影響しているからでしょう。しかもそのエネルギーは絶大で、移ろい易く染まり易い人間心理はやがて大衆のうねりとなって社会そのものを大きく揺さ振ります。

人間心理において特に強いエネルギーを持つのが「欲求」であり、そもそも価値観の根源も欲求であり、すなわち人間活動の主な動機は欲求を満たす事から始まるわけですが、最も低層である生理的欲求はまさに生きる事そのものであって、それは食べる欲求へと繋がります。

その欲求が満たされない時、それは惨めであり憂鬱であり、時に死の恐怖すらチラつかせるものですが、それら「餓え」の原因が貧困であるならば、そうならないように何かしらの行動を起こすわけであって、それは生産であり交換であり、時に略奪という行為が行われる事もありますが、それら人間活動の経験を経て、より満たされようと欲するわけです。

つまり、欲求は低層なものから高層なものへと移行していくのです。しかし、それが満たされなければ「餓え」るのであって、結局のところ人間活動とは「餓え」との戦いなのかも知れません。

だからこそ人間は「学ぶ」のです!

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…物がいっぱい詰まった袋は重い。しかし、一番重いのは空の財布…

…財産を持つと心配事もそれに応じて増えるが、財産が全く無い方が心配事は多いものだ…

…金は決して全てを良くはしない。と言っても金は全てを腐らせはしない…

…どちらかと言えば金を稼ぐのは易しい。使い方こそが難しいのだ…

…冬に薪を買う為の金を、夏に遊んで使うな!…

…アヒルを食べて借金取りから逃げ回るよりも、キャベツを食べて堂々と町を歩いた方が良い…

…貧乏は恥ではない。しかし、名誉だと思うな!…

…金持ちになる方法が一つある!明日やる仕事を今日やり、今日食べる物を明日食べる事だ!…

…商人になったらこの言葉を覚えなさい。“私は貴方を完全に信頼しています。だから現金で払って下さい”…

…人は金銭を時間よりも大切にするが、その為に失われた時間は金銭では買えない…

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旧約聖書の昔から続く独特なパラダイムを持った彼等ユダヤ人の格言は、民族や宗教、遥かな時代を超えて私達の心を捉えます。そこには人間心理に対する深い洞察がありました。逆境の時代を経て、ユダヤの教えと共に再びその文化を開花したアブラハムの子達は、学問、文学、技術などの「価値」を創造すると共に「経済」にも確かな軌跡を残したのです。

21世紀の現代、お金はあらゆる価値を吸収して「価値その物」に取って変わろうとしていますが、本来お金は道具であるわけで、それは目的ではなく手段であるという事、価値は価値のままで良いという事を見失っているという事でしょうか?

だからこそソロモンは夢に現れた神に対して、人民を公平に裁く為の「知恵の心と判断する心」を願ったのかも知れません!「人間社会の価値は財産や権力だけではない」と言わんばかりに!モーセだってお金が価値の全てだと考えていたならば「出エジプト」する必要はなかったはずです!

人間心理がこれからも変わる事がないのなら、人間は様々な階層分野において欲求の満足を求め、餓えの恐怖から逃れ続けるのでしょう。数百万年の憂鬱は今後まだまだ続くのです。しかし、それは決して後ろ向きなものではなく「生」に対して積極的なものであり、最も人間らしい心理であり、行動であり、戦いなのです!それは語り継ぐべき人類の歴史です!

お金とは、多種多様な価値観を共有する手段です。

ですが、人間社会の価値を「お金以外の方法」で共有出来るのならば、それは素敵な事かも知れませんね!

それにしても…お金ほしいな~…

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参考

◆「ユダヤ5000年の教え」(実業之日本社)
ラビ・マービン・ケイヤー 編著   加瀬英明 訳

◆「人間の経済Ⅰ ―市場社会の虚構性― 」(岩波書店)
「人間の経済Ⅱ ―交易・貨幣および市場の出現― 」(岩波書店)
カール・ポランニー 著  玉野井芳郎、栗本慎一郎、中野忠 訳

◆Wikipedia

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♯007 戦国の摩天楼

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室町幕府の権威が失墜し、力ある者が天下の覇権をかけて戦いを繰り広げる争乱の時代に、築城からわずか3年で焼失してなお「幻の名城」として現代まで語り継がれる伝説の城がありました。

琵琶湖東岸に築かれたその城は、雲を突くかのように天高くそびえ立ち、五層七階、外部は赤や青といった色鮮やかな輝きを放ち、最上階は全て金色で覆われ、内部は様々な動物や古の賢人など美しき絵画で飾られていたとの事です。それは当時の常識を遥かに凌駕するものでした。

宣教師ルイス・フロイスは、その著書である「Historia de Iapam」で以下のように伝えています。

「…Em cima domonte que esta no meio fez os seos pacos e fortaleza que de arquitectura,fortaleza, riqueza e apparato se pode comparar com mui grandiozas fabricas deEuropa porque…」

「…中央の山の頂に宮殿と城を築いたが、その構造と堅固さ、財宝と華麗さにおいて、それらはヨーロッパのもっとも壮大な城に比肩し得るものである…」

見る者の度肝を抜く豪華絢爛たるその威容は、訪れる者に力強さと凄絶なエネルギーを感じさせ、畏敬の念すら抱かせたのです。それは天下布武を推し進める織田信長にとって、これまでの覇業の集大成であると同時に、完全なる天下統一に向けての新たな覇業の始まりの象徴でした。

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「…E no meioesta huma maneira de torre, a que elles chamao tenxu,que tem outra figura muitomais nobre e soberba que as nossas torres, a qual he de sete sobrados todos pordentro e por fora feitos de estupenda e maravilhoza arquitectura…」

「…そして城の真中には、彼らが天守(てんしゅ)と呼ぶ一種の塔があり、我らヨーロッパの塔よりもはるかに気品があり壮大な別種の建築である。この塔は七層から成り、内部、外部ともに驚くほど見事な建築技術によって造営された…」

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城とは、領国支配に欠かせない政治・人材・資金・物資・情報の言わば中心地であり、軍事における防衛拠点・前線基地です。その善し悪しが国家の存亡、一族の命運に大きく影響します。「城取り(築城)」がいかに重要であったかは言うまでもありません。

城取りは大きく分けると、「縄張(なわばり)」「普請(ふしん)」「作事(さくじ)」の3つから成ると言われます。

「縄張」とは城取りの設計であり、城を築く場所を決めたり、曲輪の配置・形状、堀の深さや石垣の高さ、城門や櫓の位置・形式などを定める事を言います。そして実際に石垣・堀・土塁などを築く事を「普請」といい、城門や櫓、御殿などを築く事を「作事」と言います。普請と作事は土木工事と建築工事の関係にあたります。

作事には様々な技術者が参加しました。土壁を塗る左官職人や、瓦を葺く屋根工事の専門家、畳や金具を製作する者、襖絵を描く絵師もいた事でしょう。そして中心となるのは木工事を行う「番匠(ばんじょう)」、今日で言うところの大工です。作事と一口に言っても、多くの技術者がその任に当たっていたのです。そして、何と言っても作事の中で最大のものが「天守」の建造でした。

現代の我々が城と聞くと、まず最初に思い浮かべるのは「天守閣」ではないでしょうか?天守閣という言葉は、江戸時代後期に庶民の間で使われ始めた俗称であって、本来は天主・殿主・殿守などの漢字が使用されるものの、一様に「てんしゅ」と呼ばれていました。

しかし、「天守」という名称の由来、あるいはその起源についての決定的な結論はありません。ただ、少なくとも群雄割拠と言われるこの時代に急速に進化した事は確かなようです。いずれにせよ、天守は有事の際には物見櫓や司令塔としてその役割を発揮しますが、そういった軍事的な目的で存在したというより、最終的には権威の象徴・権勢の誇示といった性格の方が強くなり、内外に威厳を放つ存在となった事は間違いありません。

そして、織田信長が建造したこの天守こそが、その最たるものだったのです!

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織田家の家臣であった太田牛一が著した「信長公記(しんちょうこうき)」には、城からの眺めが次のように描写されています。

「…西から北は琵琶湖が水を満々とたたえ、舟の出入りがひんぱんで、遠くから帰る舟の影、漁村の夕暮れ、浦うらの漁火の風情など、じつにすばらしい。湖の中には竹生島という有名な島がある。また竹島という湖中に高だかとそびえ立つ岩山がある。奥の島山の、長命寺観音の、朝夕の鐘の響きは快く耳に響く。湖の向こうは、比良の高根、比叡の山、如意が岳。南には村々の田畑がひろがり、近江富士と呼ばれる三上山の姿も美しい。東に観音寺山があり、そのふもとの街道はひきもきらぬ往来でにぎわい、昼夜それが絶えるということがない…」

琵琶湖がキラキラキラーってしている感じが何とも言えない美しさを醸し出していますよね!山寺の鐘の音が聞こえてくるようです。田畑や街道もあって、きっと沢山の人が暮らしていた事でしょう!戦国の世に生きる人々の生活が伝わって来ます!

では、ここでちょっと城下町をぶらりと散策しに行ってみましょう!


いや~ホント人がいっぱいいますね~!物凄い活気です!


「あれが南蛮人か~?」
「キャー!ステキー!デップ様~!」


「見ろ!良い女だぜ!」
「お前どっちを選ぶ?」


「このふんどし、くっさ~!」

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天正10年(1582年)6月13日…

「天王山にて、お味方、大敗北!羽柴筑前守の軍勢がこちらに向かっているとの由でございます!」

「なんだとー!して、殿は!殿は如何なされたー!」

「昨夜のうちに勝竜寺城を抜け出し、坂本城に向かわれたとの事でございまするが、消息は分かりませぬ!」

「なんたる事か!えーい、急ぎ我らも坂本へ向かうぞ!急げ!急げー!」

それは本能寺の変より、わずか10日ほどが過ぎた頃の事でした。

「わしは若年より戦地に臨むにあたり、攻めては一番槍、引いては殿(しんがり)を旨とし、武名をあげる事を本懐としてまいった。幾つもの危機を潜り抜け、困難に耐えてきたのも、ひとえにお家の繁栄を願っての事である。しかし今となってはどうであろうか…進退窮まるとはまさにこのこと、我が武運は尽きたか…」

見上げるとそこには、豪華絢爛たる天守が雲を突くかのように天高くそびえ立っていました。

「それにしても、なんと見事な天守であるか!ここはかつて天下の中心であったのだな!」

「坂本城へ向かう準備が整いました。筑前守の軍勢も間もなく参ります。退去にあたって天守に火を放ちまするか?」

「天下の名品と同様に、天下もまた私物化してはいけないのやも知れぬ。あの時、殿をお留めしておれば良かったのか…天下は未だ定まってはおらぬ。まだまだ数多の血が流される事であろう。まこと武士とは空しきものよ。死出の山にて秘蔵の脇差を殿にお渡し申そう。」

この2日後、天守は炎に包まれ消滅する事となります。

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今や存在しないこの城の真実の姿を知る者はいません。ヨーロッパの大聖堂のような吹き抜け構造になっていたとも言われていますが、現在この城の真実の姿を巡る論争は続いています。当時の書物に記述が残されているものの、今となっては想像に頼るしかないのです。

手掛かりとなるのは狩野永徳が描いた一枚の屏風絵。これはイエズス会巡察師アレッサンドロ•ヴァリニャーノが帰国する際に織田信長から贈られた物で、時のローマ教皇に贈呈されているのですが、その屏風絵にはこの城の景観が事細かに描かれていると伝えられているのです。

この屏風絵を見れば多くの謎は解明出来るかも知れません。しかし、バチカンへ調査団を派遣し探索を試みるも、残念ながらこの屏風絵は未だ発見されていないのです。

「幻の名城」は一体どのような威容を誇っていたのか…?現存していれば間違いなく第一級の文化財であろう事を考えれば残念でなりません。しかし、日本に名城数あれど、こんなにも圧倒的な存在感を感じさせる城があったでしょうか?

今日では石垣や階段が残るのみで城の名残はほとんど無くなっていますが、木々は四季折折の顔を見せ、草花は健気で小鳥は元気です。天守跡に登ると、その日は抜けるような青空で風が心地よく、僅かながら琵琶湖も望めました。

イエズス会巡察師と共に海を渡った屏風絵の行方は今も謎のままですが、この地に立てばその雄姿がありありと浮かんで来ます!安土桃山という時代の転換期において、確かに「安土城」は存在していたのです!それは語り継ぐべき人類の歴史です!

いや~、私も一国一城の主になってみたいものですな~!

あいやいや!まずは「うだつ」を上げることから始めないといけませんやね…

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参考

◆「完訳フロイス日本史3」(中央公論新社)
ルイス・フロイス 原著   松田毅一、川崎桃太 訳

◆「信長公記」(ちくま学芸文庫)
太田牛一 原著   榊山潤 訳

◆「城のつくり方図典」(小学館)
三浦正幸 著

◆「【決定版】築城にこめられた叡智と技術 図説「城造り」のすべて」(学習研究社)
三浦正幸 監修

◆安土城CG画像
三浦正幸 復元  株式会社エス 制作

◆Wikipedia

◆安土町城郭資料館
JR安土駅前すぐ

◆安土城天主 信長の館

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